■□『風来坊ひでさんの風物語』C□■ | |
★紀伊半島ぐる〜っと一周ぶらり旅 ★
最終日 和歌山 紀三井寺 編
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昨日 高野山でお参りした私は、和歌山市まで25キロほどの粉河町で宿泊。
見忘れていた、紀三井寺へ...。正式には「紀三井寺金剛宝寺護国院(きみいさんこんごうほうじごこくいん)」という霊刹です。
三つの井戸が有るお寺ということで名付けられたといわれ、今も境内には、清浄水(しょうじょうすい)、楊柳水(ようりゅうすい)、
吉祥水(きっしょうすい)の三井より清水がこんこんと湧き出しています。このことから三つの井(泉)の寺、
それに紀州の紀の字を加えて、「紀三井寺」と呼ばれるようになったといいます。 紀三井寺・・・西国観音霊場2番札所 |
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紀三井寺の「門前」と「楼門」・・・早朝の為か、お土産屋さんも開いてなく人通りもまばらでしたので、
ちょっと失礼してここに車を止めさせて頂きました。(ごめんなさい<(_ _)> |
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楼門をくぐると、w(゜ー゜;)wワオッ!! 目の前には長〜〜い石段です。
いやぁ〜!231段もある参詣者泣かせの石段です。
結縁坂(けちえんざか)と言うようです。坂下の案内板には結縁坂の”いわれ”が書いてありました。
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結縁坂(けちえんざか)の”いわれ”
江戸時代の豪商・紀ノ国屋文左衛門は、若い頃にはここ紀州に住む、貧しいけれど孝心篤い青年でした。
ある日、母を背負って紀三井寺の表坂を登り、観音様にお詣りしておりましたところ、草履の鼻緒が切れてしまいました。困っていた文左衛門を見かけて、鼻緒をすげ替えてくれたのが、和歌浦湾、紀三井寺の真向かいにある玉津島神社の宮司の娘「おかよ」でした。
これがきっかけとなって、文左衛門とおかよの間に恋が芽生え、二人は結ばれました。 後に、文左衛門は宮司の出資金によって船を仕立て、蜜柑と材木を江戸へ送って大もうけをしたのでした。 紀ノ国屋文左衛門の結婚と出世のきっかけとなった紀三井寺の表坂は、それ以来「結縁坂」と呼ばれるようになりました。」 |
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ハァ・ハァ言いながら、231段の石段を上ると本堂です。他には、多宝塔(下層は四本柱の方形、上層は十二本の柱を立て高欄をめぐらせた円形。室町中期様式・五智如来をまつる)や六角堂(西国三十三カ所御本尊をまつる)などがあり、ここからは、和歌浦湾が一望です。
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また、紀三井寺は早咲き桜の名所(桜名所百選)として有名で、開花宣言の目安となる和歌山地方気象台指定の
標本木(ソメイヨシノ)が本堂前にあります。
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紀三井寺を散策した私は、和歌山のおみやげを買いに総本家『駿河屋』の殿様も食べた”本の字饅頭”を買って帰ろうと、お店へ・・・。
ところが、まだ出来上がってなくて1時間ほど待たされてしまいました。でも、待っててよかったー!
ほんのり酸っぱい味で美味しかったです。この旅で新鮮な魚介類や美味しい物をたらふく食べ、睡眠時間はいつもの倍...
おかげ様で、体重が増えてしまいましたよ。まるで、カエルのお腹のようです。(笑・笑・笑!!!) |
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☆☆☆ 今回の旅行は、チョット ハードスケジュールでしたけれど、南紀・伊勢地方の自然と歴史にふれ、
また、思いがけない出会いなどもあり、楽しかったですね!
では、また... ヽ /
- @ − / ヽ ♪ 〃⌒⌒ヽ .。o○ また、旅行に行きたいなー! ┌ d●-●b ┐ ♪ /\ | > < | / \ | /]⌒[\ | Mail from by ひでさん _/□□\_ / \ < sachi.hn.33.we@h9.dion.ne.jp> ‘‐◎−−−◎‐’=3 =3 ||_________________________/\ ★☆ 昨夜、テレビで湿原の花を撮っている番組を見ていたら、
また、花たちに逢いに出かけたくなりましたね。
でも、最近は雨・雨・雨! もう、嫌になりますね。ヘ(´o`)ヘ
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